猫カフェって行ったことない方でもどんな空間なのかなんとなく想像できますよね。大人しく可愛らしい猫達を眺めたり、元気な子とは触れ合ったり、猫達とリラックスできるような空間を思い浮かべるように思います。
猫カフェと言えば今ではポピュラーで多くの方に知られるサービスだと思いますが、そのルーツはそこまで古くありません。台湾発祥と言われる猫カフェは、2000年以降に日本に上陸したと言われております。そして、2008年以降にその数を増やしていき今では市民権を得たような感じですね。管理人も初めて行ったのは20年近く前、秋葉原にある猫カフェでしたがメイドカフェが乱立する秋葉原で居抜きか何かで猫カフェに置き変わるようなところもちらほらあった記憶があります。
猫カフェは猫達とリラックスできる癒しのような場所だと思いますが、一部の動物愛護家の間では猫カフェは動物虐待なのでは?とか、猫がストレスで可哀想といった声も聞かれます。猫サイドからしたらそうなのかもしれないし、そうではないかもしれませんが、猫カフェ自体が摘発されたり規制されたりすることは今のところありませんので実態としてはセーフとされているのだと思います(少なくとも人間中心の社会においては)
本記事では猫カフェについて、人が決めた法律や飼育管理のルール、猫の生態と猫カフェの相性、猫と人の見方にどのような違いがあるかなどをまとめてみました。
▼目次
- 猫カフェってどんなところ?
- 猫の生態と猫カフェ
- 法律(動物取扱業)で決められた飼育管理のルール
- 猫視点ではストレスだらけの労働環境
- 猫に労働させてまで癒しや娯楽を得たいか
- 猫も庇護された上で労働の対価をもらっているという考え
- 動物虐待ではないものの猫が好んでしているかはわからない
猫カフェってどんなところ?
猫カフェってこんな場所だよ。みたいなお話ではなく、人や猫にとってどんな場所かという前提の話を考えてみます。
猫カフェのサービスを考えると、お店で飼われている猫達との触れ合いを通じて楽しんだり癒しを体験する場と言えます。
そして、そこにいる猫達は客である人達やお店のスタッフの方も含めて可愛がられている、大切に扱われているというイメージではないでしょうか。猫は店内で自由にしており、おやつが欲しければ人に与えられ、遊びたければ遊び、休みたければ休む。このような気ままな過ごし方ができるという共通認識の元に成り立っているのが猫カフェだと思います。だから、猫カフェへ気軽に行けるし、猫に対して虐待しているとかストレスを与えているなんて考えもしません。
猫カフェへ行くのに罪悪感が少しでも感じられるような風潮があれば、足を運ぶこと自体が重くなりそうです。そんなことは今のご時世にはないのが昨今の猫カフェと言えるでしょう。
猫の生態と猫カフェ
では、猫にとって猫カフェでの生活ってどうなんでしょうか?猫の生態と合ったものなのかを考えてみたいと思います。
猫の生態って猫に触れる機会があまりない方でもイメージくらいはなんとなくありますよね。甘えん坊で寂しがり屋、構ってあげるとさっと立ち去ってしまう気分屋さん。寝てばっかりと思いきやどこかほっつき歩いてたりする自由きままさ。また、したたかさや計算高いなんて思われる方も。
このようなイメージがあると思いますが、猫の生態を考えるとどうでしょうか。
甘えん坊な一面は子猫時代の母猫に甘えていた名残があると言われています。とはいえ、ネコ科の動物は基本的に一匹で行動します。自然に還ればネズミや野ウサギを捕食することになりますが、それらは単独で狩りのできる相手です。また、寝てばっかりというのも一日の半分以上は寝て過ごすのでこうしたところも一人で過ごす時間が長くなりますね。
日中に散歩などして過ごすのは縄張りを確保するためと言われております。一匹で行動するからには食べ物の確保が死活問題なので自分の縄張り(にある餌場は無事か)を見回ったりしています。ついでにおしっこやうんちでマーキングしてここが自分の縄張りだと他の猫などに主張したりもしますね。また、単独行動だとすれば自分の身は自分で守らなければいけなくなるのでしたたかで計算高くなってしまうのも自然なことかもしれません。警戒心が強いと言われているのもこのためですね。
では、猫カフェでの生活も考えてみましょう。
猫カフェの空間には複数の猫と複数の人が入り乱れます。広さにもよるとは思いますが、単独行動ってわけにはいきませんね。人は猫カフェのサービスを受けにきているので、猫がどう思っているかはあまり考えずに触らせてくれそうならベタベタ触り、チュールなどのおやつで気をひきます。それもずーっと同じ人がするのではなく、様々な人が入れ替わり立ち替わりです。休憩スペースへ自由に行き来できればいいかもしれませんが、猫も交代制でカフェスペースで仕事をしなければいけません。営業時間の決められた猫カフェは自由なようで不自由かもしれません。
猫カフェの営業が終わってもある程度のお世話が済んだら店員は帰宅です。夜間はケージ内で大人しく過ごさないといけなくなります。猫は夜行性とも言われますが夜に自由な行動はできません。仮にネズミが目の前をウロウロしていたとしても追いかけることもできないわけです。
猫カフェでの生活って猫からしたらプライバシーなんてない場所かもしれません。もちろん、人が好きで触られるのも好きで猫カフェの生活に満足している猫であれば何も問題はないでしょうけど、全ての猫に当てはまるようには到底思えないのです。
法律(動物取扱業)で決められた飼育管理のルール
法律(人間社会のルール)を見てみると、猫カフェを開業するためには第一種動物取扱業の登録が必要になります。また、動物取扱責任者の配置も必要となり、獣医師の免許を取得や愛玩動物看護士の免許の取得、実務経験などの要件に該当する方を配置しなければなりません。
加えて、動物取扱業における猫の飼養管理基準も定めれており、以下のような項目で細かく基準が定められています。
- 飼養施設・設備(ケージ等)
- 従業員数
- 環境の管理
- 疾病等に係る措置
- 動物の管理
飼養施設・設備では、休息できる設備や自由に移動できることを必要とされます。また、展示の時間も6時間を超えて行わないように休息時間も設けられていたりします。ケージについても床面積が動物の大きさによって決められていたり、給餌や給水も適切に行うように明記されていたりします。他にも従業員一人あたりが管理できる頭数が決められ、適切な飼育管理を行えるように適正な数の従業員数の配置が求められます。
どこまで厳密に運用されているかはわかりませんが『動物取扱業における犬猫の飼養管理基準』を設け、動物の取扱いに対する基準を具体的に示し、基準を満たさない事業者に対して厳格な措置を取れるように策定されております。
猫視点ではストレスだらけの労働環境
「今日はワタシ、体調が良くないんだけど・・・」
そんな風に猫が思っていても目に見えてぐったりしているなど人が見て判断できるくらいまでの体調不良でなければ店頭に立たされます。人(店員)ができることは営業時間内に出勤させて、営業に支障が出ない程度に無理させないくらいです。電話やLINEで「今日は具合が良くないのでお休みします」なんて猫は言えませんし、決められた営業時間は決められた場所にいなければいけません。
「静かに暮らしたいだけなのに・・・」
そう思っていても一日中ひっきりなしに知らない人が出入りします。
「ちょっと疲れたんだけど」
そんなことはいざ知らず、店員は休憩時間までは知らんぷり、客は体を触りに来るし餌で釣ってこようと構ってきます。
「休み時間だぁ..」と思ったら
時間が来たらまたカフェスペースに逆戻り。もっと休んでいたかったのに。
夜になって「やっと終わったぁ..」と思ったら
ケージに閉じ込めれて強制就寝。ワタシのフリータイムどこ?夜に異変があったり鳴き続けても朝まで誰も来ません。
なんだか大変そうですよね。人から可愛がられてたり大切にされている環境のように思えますか?
猫に労働させてまで癒しや娯楽を得たいか
お店の環境や客のモラルによる面も大きいかもしれませんが、猫にとってはとてもじゃないけど楽しくて満足できる環境とは言えないと思います。
客として猫カフェに足を運ぶ方は、猫達と触れ合い楽しんだり癒しを体験しに行くわけですが、猫に色々なことを我慢させてまで癒しや娯楽を享受したいでしょうか。
猫を働かさせてまで癒しを求めに行く必要は無いのかもしれません。
猫も庇護された上で労働の対価をもらっているという考え
一方で猫カフェを肯定する意見の一つには、猫を天敵から身を守っているし、餌を探す苦労もありません。そのかわり猫カフェで労働をしてもらうのであって、猫はそのサービスの代価として餌をもらい安全に過ごせる環境を提供させてもらっているという考えです。
人間中心の社会ですので猫などの動物に是や否はありません。人間に都合が悪いことは多数の動物が望んでも人間が我慢することはありません。前述の飼養管理基準もそうですが動物達からしたら人が自分達のやっていることを正当化するために様々な理屈を並べているだけに過ぎないのかもしれません。
動物虐待ではないものの猫が好んでしているかはわからない
猫カフェで動物虐待が行われているわけではありません。人も労働の対価としてお金をもらい納税し安全に暮らせる環境を得ています。仮に猫カフェで働く猫達が虐待されていると考えてしまったら、好きでもなく嫌々お金の為に働く人間も虐待されているという事になってしまいます。猫は自分から働きたくて(対価が欲しくて)働いているわけではない。という意見もあると思いますが、ではどうするのがいいのでしょうか?
もし、動物達の自由にさせるならそれは自然に還すことになります。そうなれば弱肉強食に逆戻りです。天敵に狙われることもあるし、それが人間であるかもしれない。人間の論理かもしれませんが一定のルールの元、なんとなく上手くやっているのが今の社会なのかもしれません。当然ながら法律で線引きされた虐待のラインを超えれば人は人に罰せられます。