猫が亡くなった時に使われる「虹の橋」の意味とウラ話と素朴な疑問

「虹の橋に旅立ちました」
「虹の橋を渡りました」

愛猫や愛犬が亡くなると飼い主がこのような表現でお知らせをすることがあります。
この言葉の意味を知らずとも、ペットが亡くなってしまったんだな。ということはほとんどの方の間で伝わるのではないでしょうか。

この言葉は、飼い主が伴侶動物を失った際に慈しむ気持ちから使われたり、動物愛護活動に携わる方が不幸にも亡くなった動物達に対し、せめて死後の世界での幸せを願う気持ちで表現されたりするものです。

なお、言葉の意味だけに限って言えば、Wikipediaの「虹の橋 (詩)」で見ることができます。
-> Wikipedia「虹の橋 (詩)

こちらの記事では、Wikipediaでは触れられていない少し詳しいお話やちょっとしたウラ話を踏まえてまとめました。

▼目次

  1. ペットの死後の世界の散文詩「虹の橋」
  2. 「虹の橋」の諸説
  3. 虹の橋の伝説。インディアンの伝承話
  4. 虹の橋の伝説。北欧神話の虹の橋ビフレスト
  5. 敬虔なクリスチャンにはご法度な話題?
  6. ちょっとした疑問①飼い主が先に亡くなったら?
  7. ちょっとした疑問②家族で可愛がっていたら誰と一緒に?
  8. ちょっとした疑問③死後が天国なら現世よりいいところ?

ペットの死後の世界の散文詩「虹の橋」

虹の写真

作者不詳とされる散文詩「虹の橋」は、大まかな内容を記すと以下のようなものになります。


愛する動物達が亡くなると、そのペット達は天国の手前にあると言われる牧草地に辿り着き、生前の怪我や老いはなく、自由で元気な体で仲間達と一日中遊びます。
しかし、安らぎと幸せの世界においてもペット達は、置いてきてしまった飼い主のことを恋しく思い、この天国の手前の地「虹の橋」のたもとで飼い主を待っています。
そして、飼い主自身が亡くなるとこの「虹の橋」でペットと再会し、一緒に虹の橋を渡り共に天国に行くのです。


といった内容のお話です。

(飼い主のいない動物達は同じようにこの地に辿り着き、また、誰にも愛されなかった人間と巡り合い、一緒に天国に行く。というストーリーが続きます)

虹の橋は、楽園のような牧草地と天国とを繋ぐ架け橋のような存在で、この場所が動物と人との合流地点の役割を為し、一緒に橋を渡って天国へと旅立つというものです。

また、前述の部分が三部作のうちの二部作(ペット達と飼い主のいない動物達)とされ、作者不詳であり、三部は「雨降り地区」とされ、芝山弓子さんによる物語と言われております。

「虹の橋」の諸説

虹の写真

作者については諸説ありますが、一つは作者不詳の散文詩から。もう一つはフェレットのレスキューを行っていたDianeとSteve Bodofskyによる詩、ペットを失い鎮痛な想いの飼い主達に宛てた詩とするものです。

これら詳しい内容は、Wikipedia(虹の橋 (詩))で見ることができますので、気になった方はご確認ください。

また、作者不詳の散文詩については、四名の方が作者の候補としてあげられておりますが、著作権者は特定されずに至っています。

作者の話以外にも起源についても触れられることがありますが、日本のペット愛好家によるホームページだと「古いインディアンの伝承に基いているもの」というものが見られます。
この他、北欧神話の「ビフレスト」(神々の住まう地と人間が暮らす地を繋ぐ虹の橋)を取り上げることもありますが、どちらも人とペットの話を語られているものではなく、関連性は薄いと思われます。

虹の橋の伝説。インディアンの伝承話

手とアクセサリーの写真

虹の橋の起源として、「インディアンに伝わる古い詩」といった説明をよく見かけますが、この伝承話の内容まで語られていることは多くありません。

この伝承は、カリフォルニアの先住民族(ネイティブ・アメリカン)のチュマシュ族に伝わる「虹の橋の伝説」や「イルカ伝説」と呼ばれるものです。

その昔、サンタ・クルーズ島に住んでいたチュマシュの民は、大地の女神フタシュ※によって生まれ、火を与えられて栄えますが、人口が増えすぎてしまった結果、島は人で溢れかえることになりました。そこで女神フタシュは、島に住む人々を人の住んでいない別の場所に移り住ませようとしますがどうやって移動させればよいものか考えます。女神フタシュは島と移り住む土地の間に「虹の橋」を架け、人々に渡らせることにしました。しかし、渡る途中で海に落っこちてしまう人も出てきてしまうのですが、これを女神フタシュはイルカに変えて溺れることなく自由に遊べるようにしたのです。

虹の橋の起源としてインディアンの伝承話としているのは、チュマシュ族に伝わる「虹の橋の伝説」や「イルカ伝説」のことを指しているものと思われます。

※大地の女神の名前「フタシュ」は、正確ではないかもしれません。映画「イルカと少年」で得た知識なので間違いがあるかもしれません。

虹の橋の伝説。北欧神話の虹の橋ビフレスト

銅像の写真

北欧神話にお詳しい方であれば、ご存知かもしれません。虹の橋と呼ばれる「ビフレスト」

神々が住まうアースガルド(天上)と人間が暮らす領域のミッドガルドを繋ぐ橋が「ビフレスト」と呼ばれており、虹の橋と呼ばれるものの七色ではなく火と大気と水で出来ており、火の赤、大気の緑、水の青の三色をしていたといわれています。

北欧神話における世界創造の折に、神々(オーディーンら)によって地上であるミッドガルドから天上のアースガルドに架けられますが、この橋があることで最果ての地ヨトゥンヘイムに追いやった巨人族の侵入が容易になってしまいます。この巨人族の侵攻を防ぐために橋の見張り番が必要になりますが、その門番である神がヘイムダルです。

北欧神話は頻繁にゲームや漫画にも登場しますが、ラグナロクや角笛ギャラルホルンといった言葉は耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

ビフレストは、ラグナロク(最終戦争)の時に、巨人スルトとその一族が渡ると燃え尽きてしまう(重さに耐えきれず崩壊する)と言われており、ヘイムダルはラグナロクを知らせる為に角笛ギャラルホルンを吹き鳴らし、神々を集結させると言われております。

地上から天上(天国)へと繋ぐ橋という類似点はあるかもしれませんが、人とペットとの関連性はないと言っていいと思います。

敬虔なクリスチャンにはご法度な話題?

十字架の写真

ペットが亡くなると虹の橋のふもとで飼い主と出会い天国に行くという話は、ペットである動物は天国に行けるのか?を考えるとややこしくなります。

まず、宗派によって様々な面がありますが、厳格な教えを守るキリスト教では、動物が天国に行くことはありえないと考えていることです。(もちろん、ある程度許容されている宗派であればわかりません)

キリスト教の基本的な考えとして原罪があり、アダムとイブが禁断の木の実を口にして神の命令に背いた罪は、その子孫である人類が背負っています。だから、この世においてその罪を贖い、赦されたものが天国へ行くという教えが成り立つのです。

一方、動物には原罪という考えはありません。このため罪を贖い赦されることもありません。よって天国に行けることもありません。もっと現実的な事を考えれば、聖書にペット(動物)に関しての具体的な解説がありません。

この世に生あるもの全てを創造したはずの神様なのに・・・と思われるかもしれませんが、

神は最初の人間アダムを創造されたとき、神のかたちに似せてアダムを造られた、と聖書は語っています。(創世記1章26-27節)

さらに、神の息吹を吹き込んで生命与えたとされることで、姿形である体と神の息吹の魂や霊を合わせ持つ存在が人間という解釈が成り立ちます。
しかし、動物に限っては、神によって生命の息吹が吹き込まれていないので、肉の体は持てど魂や霊は持ち合わせていないという解釈が成り立つわけです。

このため、敬虔なクリスチャンとのこうした話題は噴飯叱責ものかもしれませんので、話す相手は考えた方がいいのかもしれません。

ちょっとした疑問①飼い主が先に亡くなったら?

この話を聞いた時に少し思ったこと、飼い主が先に亡くなったらどうなるんだろう?

虹の橋のふもとの場所は、亡くなった動物達が集まり、飼い主を待つ場所であったとすると、飼い主である人が先に亡くなった場合はどこで待っているんだろうか・・・。
仮に同じ場所で待っていたとして、何年待てばいいのか?ペットはちゃんと現れるのだろうか?ペットを引き取ってくれた人に懐いちゃったらどうなっちゃうんだろうか?

深く考えてはいけないことなのかもしれませんが、素朴な疑問が出てきてしまう方もいるような気がします。

ちょっとした疑問②家族で可愛がっていたら誰と一緒に?

虹の橋の話って、ペットと飼い主がこの場所で出会って二人で仲良く天国に渡る情景だと思いますが、家族で可愛がっていた場合、誰と一緒に行くのでしょう?
早いもの勝ち?一番懐いていた家族?それとも最後の家族が来るまで全員で待ってる?

もし、最後の家族が来るまで待っていてくれるなら家族とも再会できるわけですが、家族仲が悪かったら気まずそうですね。

ちょっとした疑問③死後が天国なら現世よりいいところ?

これはあまりいい考えではありません。話半分に見てください。

もし、虹の橋で語られるような楽園のような場所があり、その先には天国があるというなら現世よりずっといい場所ではないでしょうか?
だとするならば、亡くなってしまっても悲しい事ではないし、むしろ今よりいい暮らしができるかもしれません。
それに、病気や怪我で苦しんで、飼い主が死なせたくなくて延命治療まですることは、ペットに対して苦痛を強いていることになりませんか?

本当にこの話が信じられている事なのか、疑問に思う方が出てきても不思議ではないのかもしれません。


以上になります。少し変わった視点もあったかもしれませんが、意味だけでなく少し深く考えてみるのもいいかもしれません。もしくは深くは考えずに三途の川を明るく(前向きに)例えたのが虹の橋くらいな気持ちでもいいのかもしれません。

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のらねこらむプロフィール

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のらねこらむ管理人

2017年4月に新居へ引っ越した直後から野良猫に悩まされる。
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